生きている間、スケールの違いこそあれ、
誰でも苦難が生じると思います。
( ゚ ▽ ゚ ;)
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突然大きなお金を失う、会社を失う、職を失う・・・。
家を失う、負債を負う・・・。
生活に困窮する・・・。
大切だったはずの人と別れる・・・。
体の機能を失う、あるいは体の一部を失う・・・。
顔貌が変形する・・・。
住んでいる部屋のグレードが落ちる、
服装のグレードが落ちる、
生活全般のグレードが落ちる・・・。
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物質界レベル的に見るとネガティブな状況です。
( ̄ー ̄;
こんな時人は、自分自身の「存在価値が下がった」ような感覚に
陥るのではないでしょうか?
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人生に困窮する際、人の感情は・・・。
「これからどうなるの? 不安!!
どうすればいいかわからない!
どうして何かの奇蹟が起こらないの?
情けない・・・。
辛い・・・」
そして、究極に感じる感情は
≪みじめ≫という表現が適しています!
( ゚ ▽ ゚ ;)
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さらに脱出口が見えない時、
自己評価は「落ちこぼれ」だったり、「失敗者」「愚か者」になったりします。
そうすると追加+上書きされて「みじめ」が物質界で具現化します!!
。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
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人生の中で何かに困窮する時、
いろんなネガティブな感情が噴出するのは当然です。
でも、それらの感情による評価=自分という「真の存在」
とは違います!!
( ̄Д ̄;;
感情というものと、自らの存在価値を並べるのは、
海の漂流物で、
海底の岩盤を予想するくらいナンセンスなこと!
( ̄ー ̄;
*
感情は様々あって当然なのです。
波に浮かんでやってくる、
ヤシの実、木の葉、魚の死骸、ゴミ、油のように・・・。
それら全ての流れを止めるのは無理に近く、
それらを全て拾い上げるのも無理に近いのですよね・・・。
( ̄ー ̄;
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けれども真理は別のところにあるのです。
私たちは海の漂流物ではなく、
深海の奥にある岩盤的な”魂存在である”ということです!
(・ω・)/
そこを忘れず確信していれば、
どんなゴミが流れていても
自分自身への真の存在価値を混同せずにすむのです。
取り巻いている状況がその人の「本当の価値」ではないのですから!
( ゚ ▽ ゚ ;)
たとえ破産するような状況に陥っていても、
生活のグレードが落ちても、
好きだった人に別離を言い渡されても、
体の形状や機能が違っても・・・。
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その人の真実の価値にはなんら関係ないのです!
( ̄Д ̄;;
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感情と真の価値を混同しない事・・・。
私たちは一人一人が可能性と個性に満ち、
「人間という形状」を持って物質界に来ています。
(*゚ー゚*)
そのことを確信していると、
感情と言う漂流物のずっと奥にあるのは
”静かな誇り”です!
( ゚ ▽ ゚ ;)
物質次元がどうであれ、真実の自分を確信していること・・・。
( ̄ー ̄;
そのことが”誇り”という真の価値にたどり着き、
さらには物質界という目に見える現実世界に、
誇らしい物事として反映してくる・・・。
それこそが真理です!
(*^ー^)ノ
LOVE!
(*゚ー゚*)
+・*・+・*・+・*・+
補足:
販促ではありませんが・・・・。
「みじめ」という感情がどのように宇宙への影響力を及ぼすのか、
著作【人生逆戻りツアー】の中で書きました。
ご存じない方どうぞ~。
(・ω・)/
プレジデント版→(ФxФ)♪p147
サンマーク版→(ФxФ)♡p160