いつものことではあるのですが、
誰からも(物質界的に)
「依頼されていない仕事」をすることが多い。
既存常識から言うと、
それは「仕事とは言わない」かもしれない。
その上、
依頼されていない仕事を「することが多い」
というより、私の活動のほぼ全部が
三次元レベルでの依頼があってスタートする形を経ていない。
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今回もそうだ。
先日書いた【ハチドリのひとしずく、その後の物語】
誰からも依頼なく書いた作品。
これを「依頼なしだが手製本にしておくべき・・・」という
詳細不明のインスピレーションが来た。
まぁ出処は宇宙と私の魂であることは確かだろうけど、
依頼が物質界の人でない場合、
もちろん対価の約束などなく、経費も出ない。
・・・・でも、
結局私はそれをやることにし、
おおよそどこに持って行くのかが決まり、
誰が見るためのものだったのかその後わかる。
だけどそこでも代金が発生するわけもなく、
要求するわけでもない。
頭脳はお手上げ状態で呆れているし、
周囲の人にも呆れられる。
でも、私の作品は全てこうして生まれて来た。
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本に限らずだが、
「どこの版元から出版されて、
何部擦られて、印税はいくらで、いつまでにいくら入る?」
それを確約してから執筆しようとしていたら、
今の私はなかったし、
映像含む多種多様な作品も存在していなかった。
*
ハチドリのクリキンディは
くちばしで一滴ずつ水を森の火災に落とした。
その小さな行為が何につながるのかわからないままで・・・。
逃げて行く動物たちはそれをバカにした。
でも、私は物語の続きを書き、
クリキンディの働きが、
森を守ることにつながったラストを現した。
私の頭脳は、
自分自身が今やっている未来的な価値と効果を把握できない。
それでも詳細不明なまま、
閃きと内部のパワーを感じて行動したことは、
公益性を生じてきた。
「普遍的な貢献度」
私の魂がそこを基盤に
舵をとっていることだけはわかる。
そして当然のことながら、
常に孤独であり
常に対価の確約がない。
収益性の有無を問わないこのスタイル以外に
私がすべきことを成す道はないのだと感じている。
書斎のケヤキを風が揺らしている日。
地上を旅している日の一日。
*この風景を見ながら書いています*
それではまた。
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以下の作品も依頼なくスタートし、
最終的に豪華絵本になったケース。
チラ見はこちら