私たちは今まで「何のために?」を追求されてきた。
「何のために?」生まれて来た?
「何のために?」生きる使命?
「何のために?」それをしたいの?
「何のために?」「何のために?」「何のために?」・・・
このように、大義名分を掲げていないと、
何かをする理由が成立しないとみなされた。
*
けれど内側からのパッションは理屈抜きだ。
「ただ、描きたい」
「ただ、演奏したい」
「ただ、歌いたい」
「ただ、踊りたい」
「ただ、作ってみたい」
それをやってみて将来何につながるのか、
頭脳には理解できていない。
だから結果の価値・利益を予測できないアイディアに対して、
スタートを許さなかったりする。
*
でも、頭脳に認識できることは過去データにあることだけ。
最終的に魂がどのようなプランを携えていたのかなど、
地上を去る時にならないとわからない。
***
自然農法で有名な福岡正信さんは、
人生を振り返った時、目指してきたことは
”地球の緑地化”だったと語っている。
重要な点は、彼がそう把握できたのは90過ぎだったこと。
福岡さんは微生物を調べる検疫所に勤め、
その後、郷里に戻りミカンの木を含む農家を継いだが、
自分流をテスト試行して、
大切なミカンの木をたくさん枯らしたり、
農地を草ぼうぼうにしたり・・・
傍目には破天荒でむちゃくちゃな行動に出た。
本人にも何が正解かわかっていたわけでもなく、
「ただそうしてみたいから・・・」に従って行動し、
最終的には海外からも呼ばれる砂漠緑地化の大家になった。
もちろん初めから人生プランを知っていたわけでなく、
その都度閃く方向へ舵を取り、
実験を繰り返した結果そうなっている。
***
私たちは大人になったら
「行動には何らかの意義を持たせなくてはならず」
「見返り対価が発生していなければならない」
・・・という、
鉄板常識に拘束されている。
アートでさえ、なんらかの大義名分が掲げられていることが多い。
たとえば・・・
「あたなの魂を癒します」
「あなたの魂の使命に導きます」
こうなってくるとアートというより「教材」で、
アーティストは「ティーチャー」になる。
作品に付加価値をつけて発信する目的は
より高額な対価を得るためでもあるから
それは作家の自由だと思う。
ただし、大義名分に従った作品作りは
多かれ少くなかれ頭脳の口出しを受けて「制作」することになり、
「ただ、作りたいから」
・・・という、
子どものようなパッションの採用度は低くなる。
*
多くの人が魂の目的、使命、プランを知りたいと望む。
だからこそカウンセリングや占いや鑑定に大金をつぎ込んでしまう。
けれど魂航路は頭脳に把握不能なプランを保持している。
その全体像がわかるのは、
毎日の小さなパッションに従って行動し、
意味不明のプロセスを経た後、ようやく・・・
「・・・・ああ、そういうことだったのか!!」
・・・とわかる。
だから現時点で能書や体裁が掲げられなくてもいいし、
使命や目的を説明できなくていいと私は思う。
プランを知ろうとしてスピリチュアルジプシーになっていると、
短い地上生は終わってしまう。
どのみち人生のラスト、
あるいは地上を離れた後にしかわからないのだから、
「おもしろいと感じる感覚」
「なんだか惹かれる感覚」・・・を羅針盤に、
今日を進むしかない。
人生地図は今生の最後にしか見渡せないから。
それではまた。
***
このテーマの物語は13年前に書いています。
人生が終わってしまった所からスタートする
スピリチュアル ギャグストーリーです。
よかったらどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/文庫-人生逆戻りツアー-サンマーク文庫-泉ウタマロ/dp/4763160516