ここ最近「鑑定」という言葉について考察したのでまとめてみました。
「鑑定って???」
「鑑定」をリサーチすると、
専門的な知識を持つ者が、
評価・判断。
物ごとの真偽・良否などを判定すること・
めきき・みさだめと出る。
ほー!そうなの!
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鑑定の具体的な対象は・・・
タレントや著名人のサインや縁故の品。
枚数の少ない記念貨幣・不動産など。
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特殊なものとしては訴訟法上での
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上記を鑑みて(かんがみて)鑑定の対象物の特徴を総括してみた。
特殊な訴訟上の鑑定物以外は、
ほとんどが物質的な形状を持つもので、
売り買いの対象にされているものである。
つまり、
価値を見定め、適正な価格を明確にするのが
鑑定の一番の目的である。
対象物本体は継時的に衰えることはあっても、
全く予期しないスタイルに進化する可能性はない。
宝石、骨董品、ブランド品、美術品。
どれも本体は変幻自在なものではない。
だからこそ、
宝石鑑定・骨董鑑定・ブランド鑑定・美術品鑑定は
確定できる。
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では、
この鑑定をどうですか?
「人間鑑定」
ニンゲン:カンテイ???
実際行われている人間:個人鑑定は、
鑑定師によりいくつかのパターンに分けられる。
あなたの性格、あなたの気質、あなたの境遇・あなたの未来、
あなたの使命・・・。
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でも人間存在について考えると、
物質体だけではなく、
機能が固定しているものでもなく、
価格で評価できるものではなく、
千差万別の資質で同じ人生を送ることはない。
だよね、だよね〜。
先ほどの「鑑定」という意味を照らし合わせてみると、
人間は鑑定できる対象だろうか?
そもそも「あなたは◯◯な人です」など、
確定提示可能な対象物だろうか?
そしてその鑑定結果に対し、
なんの保証もせず、
責任も負わず代金を得るビジネス。
一般的な商品の場合、
少しでも不具合があるとクレームになるが、
なぜ「人間鑑定」は不適格であってもクレームがないのか?
あなたはどう考えますか?
無責任すぎるよね〜。
私たちはいい加減
「他者に自分を判定させる」
という時代から脱するべきではないかと感じています。
それではまた。