こんにちわ。
昨日、東北にある「十和田湖」を訪れました。
この湖は、私が地上に降りて数年後、
とある物語を読み、以来記憶の片隅にあった物語。
それでも舞台が十和田湖だったと完全に理解したのは、
つい最近のことです。
今日はこの物語と、
物語を読んだ幼い私の「憤りポイント」が、
今の私に通じているため、
考察を深めてみようと思います。
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【赤神と黒神】
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美しい山に囲まれた湖に、
女神がいた。
女神は歌を歌いつつ、
はたをおって暮らしていた。
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ところで秋田の男鹿半島(おが半島)に、
鹿の群れを率いた赤神が住んでいた。
彼は女神の美しい声を聞きつけ、
はるばる女神を探しに来た。
赤神は一目で女神を好きになり、
贈物を持って度々訪れるようになった。
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ところで、
青森の八甲田を越えた龍飛(たっぴ)に、
黒神が住んでいた。
彼も女神の歌声を聞きつけ、
十和田湖にやってくる。
黒神も女神に魅了され、
贈物を携え、度々訪れた。
当然、赤神も、黒神も、
女神を妻にしようとした。
しかし、女神はどちらを夫にすればいいのか、
選べなかった。
そうこうしているうちに、
赤神と黒神は戦いを始めた。
赤神は鹿の群れを率い、
黒神は龍と嵐を率いた。
他のたくさんの神々も、
二手に分かれて、その戦いを見つめた。
・・・やがて、
赤神は燦々たる痛手を受け、
男鹿半島へ逃げてゆくことになる。
勝った黒神は、
女神を迎えるため、
悠々と十和田湖へやって来た。
ところが女神の姿はなかった。
「負けた赤神がかわいそうだ」と言って、
(本文では”かわいい”と言って)
男鹿半島へ行ってしまったのだ。
黒神は落胆とともに、
龍飛へ帰り、大きな大きなため息をつく。
そのため息で大地が裂け、
海が流れ込み、津軽海峡ができたというお話。
秋田に受け継がれていた民話が
書籍化された物語です。
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松谷みよこさんが絶賛しているストーリーですが、
私は全く違う感想です。
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以下は幼い頃(おそらく小学低学年)
この本を読んだ時の、
私の心の状態・思考と、
今に続いていることを
まとめてみます。
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この物語は、一見すると
ロマンティック・パワー・雄大さ・
切なさ・メランコリーが混在した
情感溢れるストーリーです。
ところが幼い私はこのストーリーに、
ただならぬ憤りを感じました。
理由は、この戦いが強大な惨劇を産んでいるからです。
鹿を始め、たくさんの動物たちが巻き込まれたはずです。
野山は赤く血に染まり、
山、森、川、湖、空・・・・。
巨大な破壊劇が繰り広げられ
まさに「戦争」です。
しかも、
女神は負けた赤神を追ってゆく・・・。
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幼い私は思いました。
「女神が最初から赤神を選んでいれば、
このような大惨事には至らなかった。
女神は、実のところ
赤神の方が好きだったと、私にはわかる。
けれど態度をはっきりしなかったことで、
森、湖、山岳や動物たちが巻き込まれた。
なんとういう甚大な被害だ!
本来ならば守り手であるはずの神々が
自分の身勝手さゆえに、
大地、空、湖を破壊している!!
ありえない愚かさ!!
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私の怒りは万物の大切なステージである、
地上と空への損傷でした。
そして巻き込まれた
愛おしい動植物たちへの
どうしようもない哀しさでした。
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この感情は、
私の中にくっきりと残っています。
残っているどころか、
地上の破壊行為に対する忿怒と、
大地存在に対する強い慈しみが今生を貫き、
魂プランになっていることを、
あらためてリアルに感じました。
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昨日、秋田を通過した際、
「鹿」がつく地名が多数ありました。
そして、黒神がいた場所も、
「龍飛:たっぴ」と書き、龍がつきます。
民話はその名残を
地名に残しているのだと感じました。
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昨日の十和田湖は美しい光に満ちていました。
まるで女神はまだここにいるかのようです。
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《参考までに》
この絵本はまだ手に入ります。
画家が絵筆で描いた素晴らしい世界観を堪能してください。
新書でも1000円です。
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それではまた。