信州・天竜川沿いに、大きな桜の木がありました。
皆が「天竜の桜」と呼んでいました。
誰がいつ植えたのか定かではありません。
でもこの木が
樹齢90歳以上だろうということは推測できます。
彼はずっとここに立ち、
移りゆく季節と、
移りゆく時代を見つめてきました。
日本政府が戦争を始め、人々が巻き込まれ、
大切な人が戦地に徴兵されたり、
大切な家族が満州(中国)へ半ば強制的に移民させられたり・・・
(1つの村から何人移民させる、というノルマがあった)
その多くが戻らなかった時代。
そして残った嘆ききれない想いと後悔を桜は見つめ、
人知れず人々の心を癒しました。
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1961年(昭和36年)の大型台風による
天竜川の氾濫の際には・・・
サブロク災害の資料:ネットから借用しています。
桜から徒歩数分のところにあった水神橋も崩壊寸前に。
真ん中にあるのが当時の桜か否かは判別できませんが、
背景の山の位置から推測すると、
その近くから撮影した画像のようです。
桜はこの災害をなんとか持ちこたえました。
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時代は進み、私が地上に降りました。
私は幼い頃、この桜のそばの野原と川で遊びました。
彼はおじいさんのような存在でした。
やがて私が成長し、信州を離れた後も、
年に2度桜に会いに行きました。
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そして、2016年。
この川沿い全ての大掛かりな工事計画が発表されました。
20メートルもの盛り土をし、
太い幹線道路を造る計画です。
もちろん桜は伐られ、
穏やかな堤防沿いの農道も畑も林も梅の木も草地も、
全て埋められてしまうのです。
私はこの近くでキツネに出会ったことすらあります。
でももう彼らもいないでしょう。
満月が西の山に沈む頃、川に映る美しい風景も
様変わりすることでしょう。
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私は桜の種や枝を採取し、
別の土地で再生する試みをしてみましたが、
うまく根付きませんでした。
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そして、2018年春、
私は今年の桜が最後だと感じました。
彼ももちろん予感していました。
大きかった枝葉は、工事業者によって縮小され、
木は本来の半分近くの大きさになっていました。
その上、ひっきりなしに通る大型ダンプの騒音、排気ガス、
振動でボディはダメージを受けていました。
私は振動が桜の根を激しく痛めつけたと感じました。
もちろん根だけでなく、
土壌・微生物が全体が振動でダメージを受けたのでした。
木は自ら枝を部分的に枯らし、体力を温存し、
最後の力を振り絞って、この花を咲かせました。
私が花に触れた時、
彼は悲しんでいませんでした。
花を開くことができた歓びを現し、
精一杯の輝きを放ち、誇らしげでした。
彼の意識は歓びにしかフォーカスしていませんでした。
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そして2018年秋、
私は彼に会えるのはこれで最後だと覚悟していました。
朝靄の中、
木に近づいた時、
彼は言いました。
「あなたが人間存在でいることに、負い目を感じなくていい」
人間が地球全体で行っている愚行を、私が悔やみ、
同じ人間でいることに
深い悲しみを持っている想いへ、
彼は言葉をかけたのです。
私は
「人間存在であることの負い目」に
苦悩していた自分、
・・・にはじめて気づきました。
この想いは無意識下で私の精神を苦しめ
重荷になっていたのでした。
木は私に不要な想いを解消するよう
気づかせてくれたのです。
*
そしてこの秋、
桜の木は春よりも、さらに枝を枯らしていました。
日々の激しいダメージと、
加齢によるものでしょう。
工事は朝7時から17時まで。
ひっきりなしに大型ダンプが通ります。
それでも脇芽が出ていました。
私はそれを持ち帰り、
国立の自宅で見守ることにしました。
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そして2日前、
この桜の近くに住む親族から、
「いよいよ伐採されてしまいそうだ」
と連絡が来ました。
もちろん私にも予感はありました。
そして、私は彼にコンタクトし、
たくさんの感謝を伝えました。
すると・・・・
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長くなりましたので、
後半に続きます。
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