《魚たちの夢の泡》
少年は一人でその島に住んでいました。
砂浜のある小さな島に。
もうこの時代において、
子どもは必ずしも親と一緒に暮らすことはありません。
誕生して、その子が望むようになれば、
望んだ時に望むところで一人で暮らしてゆくのでした。
もちろん学校などというものはありません。
古い時代において、
子どもは未熟な存在と定義され、
その時の社会が都合のいいように、子どもたちを調教しました。
しかしそんな時代は終わったのです。
創造主の分身である人間存在は、生まれる前から完璧。
地上に誕生する目的は学ぶことではありません。
自力で創造した世界に生き、堪能して暮らすこと。
それが目的なのですから。
その子の可能性を邪魔さえしなければ、
本来備えている無限の機能は発揮されるのでした。
さあ、少年の物語に戻りましょう。
彼は昼間海に入ります。
少年の見た目と言えば、葉っぱを腰回りに着けているだけ
他には何も着けていません。
そして、海に浸かると少年の姿は彼が望むように変容しました。
元々、人間の体には、
水中を泳ぐためのヒレやエラ、シッポなどはついていません。
けれど、それらは必要な時に現れるのです。
もし、いつも魚のような姿であったら、
陸上で暮らすことができません。
創造主は最初から人間に意図した時に変容する機能を与えているのです。
*
ともかく、少年が「泳ぎたい」と意図した時、
彼の姿は適応します。
彼の体は半透明です。
時にイルカのようでもあり、時にエイのようでもあり、
時に海蛇のようにもなりました。
そして美しい体をくねらせて優雅に沖へと進みます。
彼がグングン泳いで行くと、たくさんの魚たちが後ろを追います。
魚たちは少年を知っていて、彼を尊敬していましたから。
彼らは巨大なうねりとなって、
水面近くを進んだり、深い亀裂に潜ります。
光の帯が差し込む砂地を、
海藻が揺らぐ岩場を、
彼らはグングン進みます。
海は創造主が創ったものでした。
創造主は少年に宿り、自ら創った世界を体感しているのです。
「私は感じたいのだ」
創造主は想います。
「どれほど壮大に、どれほど壮麗に出来上がっているのかを」
少年の半透明のボディは、海、波、光、生き物たち
そして岩、砂、珊瑚を感じています。
彼は何をしているのでしょう。
それは生き物たちとの遊泳でした。
そうです。
彼は創造主の創った巨大なキャンバスに
新たな絵を加え、世界をリードしているのです。
壮大な帯はゆるやかな曲線を描き、どこまでも続きます。
次々現れる海底の風景を少年はスピードに乗って感じます。
「僕は僕の創った新しい世界を泳いでいる。なんて心地いいんだろう」
少年は感じます。
「私はこの雄大なる海を創った。そしてこの進化した海も素晴らしい」
創造主は想います。
「僕はこの海をさらに麗しいものにした。それは心躍ることだ」
少年の魂は想いました。
「私は・・・僕は・・・」彼らは同時に感じました。
「この世界を創り、それを味わっている。
感じるためにここにいる。
我々の内なる世界がここに反映され、我々はその中に生きている。
この色とりどりの風景の、この潮の感触の、この光の中を泳ぎ、それに浸る・・・」
そうです。
創造主と少年は互いが創造する世界両方を
一体と化し感じたのです。
少年の創造によって世界は進展し、
より美しく、より新しくなるのでした。
創造主の歓びが少年の魂に湧き上がります。
少年はもはや小さな個人ではありません。
創造主と彼の間に境界は無くなり、
彼らは生き物と共に、この世界に浸るのでした。
***
夜になると少年は木の小舟に乗り
静かに沖へと出て行きます。
風のない晩に彼はそうするのが好きでした。
波のない海はまるでやわらかな鏡です。
星星が海面に映り、空と海の境界はなく、
まるで星の中を進んでいるかのようでした。
やがて少年は小舟を停め、しばし世界に浸ります。
星星と自分。星星と海。星星との永遠が
彼の魂を包みます。
少年は細い横笛をとり出すと、そっと優しく吹き始めます。
そのやわらかな音色は海面を伝い広がります。
魚たちが集まり始めました。
大きな魚、小さな魚、強いもの、弱いものの区別なく、
彼らはただただ、小舟を囲んでその音色に浸るのです。
魚たちは笛に癒され、病のものも治りました。
でもそれ以上に魚たちが求めていることがありました。
その音色でまどろむと、彼らは夢を見るのです。
とても幸せな夢を。
そして魚たちは夢を見ながら微笑み始め
小さな泡ぶくを口元から出しました。
プクプク・プクプク・・・
泡ぶくは浮き上がり、
水面からフツフツと消えて行きます。
それは魚たちの夢の泡。
それぞれの夢は幸せな未来を創りました。
魚たちは自分が幸せに生きる夢を見て、
実際にその未来を生きるのです。
少年の笛はそれを手助けしてくれたのでした。
彼は途絶えることなく吹き続け、星星はそれに聞き入り、
魚たちはまどろみながら微笑みました。
海は彼らを見守って静けさを保ち、
創造主は自ら創った世界と
少年の創り出した世界に浸り
歓喜に震えているのでした。
***
明け方になりました。
少年はそっと笛をやめ、曙色に染まった海を見つめます。
この時、世界全ての音がなくなったように静かでした。
海も、天空も、幸せの夢の名残で満ちています。
少年は何を感じているのでしょう?
彼は幸せな夢で世界を満たすのが好きだったのです。
彼は自分の仕事に満足でした。
*
海は薄藍色を湛え、大気は清々しく、光は透明でした。
はるか昔、この海と空が汚された時もありましたがこうして全てが正常です。
なぜ、正常になったのでしょうか?
それは人間が力を取り戻したからに、ほかなりません。
少年も自ら海を癒し、
天と風と季節を美しくすることができました。
創造主を内包している少年には、それが可能なのでした。
そもそも人間存在の全ての者に、創造主は内在しているのです。
少年の物語はその中の一つに過ぎません。
*
もうすぐ朝日が届くでしょう。
少年は「飛びたい」と思いました。
彼の姿はまるで鳥。
どんどん高みへ昇ります。
海は遥か下になり、少年の瞳に太陽が映りました。
彼は白い翼でその光を浴びています。
風を切って、風の中を旋回して、朝の大気を浴びるのです。
なんと気持ちが良いのでしょう。
歓びのダンス。
魚たちの夢の泡は、天空をも幸せで満たしていました。
彼は泳ぐように舞い、光をまとい、
創造主が描いた繊細な夜明けのグラデーションと、
自身が創り出している躍動感を融合します。
「私は」創造主は想います。
「夜明けという舞台を創った。そして私は感じている、そこで躍る美しい自分を」
少年は想います。
「僕は夜明けを幸せで満たし、その中でダンスする。なんて最高だろう!」
「我々は」彼らは想います。
「我々の創った荘厳なる色彩、そして至福の中を舞い、歓喜に浸る」
十分に飛んだ時、少年は自分の体に戻ろうと意図します。
すると、もう小舟の上にいました。
彼はオールを取り、静かに島に戻ります。
こうしてまた、明るい朝がやってきました。
少年は少し木陰で眠ることにしたのでした。
***
これにて少年の物語を終わります。
魚たちの夢の泡、
人間存在が、自らを取り戻した暮らしの一つがここにあります。
おわり
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