izumiutamaro’s blog

泉ウタマロの新しいブログです。よろしくお願い申し上げます。

物語:あじさいと旅人

梅雨のはしりの曇った朝のことでした。
旅人が一人、山道を登って行きます。

ずいぶん山深く入ったところで、
今が盛りのあじさいに出会いました。


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男は思わずつぶやきました。
「あなたは大変美しい。
なぜこのような山奥で一人さみしく咲いているのですか?」

するとあじさいが答えました。
「ここで咲いていてはいけないの?」

旅人は思わず言いました。
「誰にも見られないではありませんか」


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あじさいは答えます。
「誰かに見られなきゃいけないの?」

男はやきもきして言いました。
「誰も褒めてくれないではないですか」

あじさいは不思議そうな表情で答えます。
「誰かに褒められなきゃいけないの?」

男は肩を落として言いました。
「あなたは何も望まないのですね」

するとあじさいは尋ねます。
「何かを望まなきゃいけないの?」


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「・・・・まるで禅問答だ」
旅人はそれきりだまって草の上に腰を下ろし、あじさいに背を向けて、自分の登ってきた山道をぼんやり眺めておりました。

ひんやりとした風が吹き、小雨がパラパラ降りかかります。

「そうか」男はふと思いつき、つぶやきました。
「あなたはこれで十分なのですね。
…それに比べて人間のなんとあさましいことよ・・・」

するとあじさいが訊きました。
「あさましいことはいけないことなの?」


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男は驚き、振り向いてあじさいを見つめました。
そして、ふっと笑いました。
彼は立ち上がり、あじさいに軽く一礼すると、谷川に降りる道を下って行きました。

森は風にドウ・・・と鳴り、
鳥は雨を避けて飛び、
嵐の予感を示しています。

けれど旅人は不思議と心が晴れ晴れするのを感じていたのでした。

もう本格的な梅雨のおとずれの気配でした。



photo:05