自分自身の願いが、
本当に”魂の望み”なのかを「見極めたい」というお話しが、
ウタマロには時々舞い込みます。
( ̄ー ̄;
願いが表面的な”思考”によるものなのか、
”魂の願い”なのか?
「この際はっきりしたい!!」と、おっしゃるのです。
( ゚ ▽ ゚ ;)ナゼ、あたくしに問い合わせが~~~???
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ウタマロには一年前から知り合いの
二人の女性がおります。
(*゚ー゚*)
彼女たちは音楽関係の学校を出ている30代。
両方とも「歌を歌う」ということに、強い情熱を感じておられます。
(彼女たちは知り合いではありません)
(・ω・)/
◇◇◇◇◇
Aさんはある資格職で生計を立てながら、
「歌手」としての音楽活動を地道に続けている人です。
活動からの収入も徐々に増えてきました。
彼女は仲間と共に小さくとも、少し大きくとも・・・。
どこに出る時も、自分のパッションを感じています。
SNSやユーチューブへの投稿も積極的に行っておられます。
彼女はシンプルに”自分の表現を発信すること”に歓びを感じているからです。
( ̄▽+ ̄*)
◇◇◇◇◇
Bさんは、現在家庭をもち、幼い子どもを育てています。
音楽活動からは数年離れているそうです。
(元々歌手で生計を得ていたわけではない、とのこと)
それでも歌う事への情熱が、
自分の中に沸々とぶり返して来ると言うのです。
彼女は「大きなステージで歌うことを望んでいる」と、熱心に語りました。
テレビをはじめ、報道関係で自分と歌が放映されるのを強く望んでいるのだそうです。
けれども社会的に「メジャーな歌手」として認められることが、
どれだけハードルが髙いのか、
ご自身でも理解されていらっしゃいました。
( ゚ ▽ ゚ ;)
◇
私は手始めとして、ユーチューブ投稿をお勧めしました。
( ̄ー ̄
すると彼女は渋い顔をしておっしゃいます。
「私はテレビで放映されるような歌手になりたいのです!!」
( ̄Д ̄;;
そこでSNS投稿でなんらかの発信してみたら?とお勧めしました。
( ̄ー ̄
けれど彼女の反応は同じでした。
「私はテレビで放映されるステージで歌いたいのです!」
( ̄Д ̄;;
さらに私は「ご自分の子どもたちに歌ってあげたら?」
と、勧めてみました。
すると彼女はおっしゃいました。
「私はNHKの”みんなのうた”で歌いたいんです!」
( ̄Д ̄;;
私たちの会話は平行線のままでした・・・。
( ゚ ▽ ゚ ;)
◇◇◇◇◇
ウタマロは疑問になりました・・・。
( ̄ー ̄;
真の意味において彼女は「歌う事」を欲しているのでしょうか?
「歌う」という行為より、
「晴れやかなステージにいる自分を見てもらいたい!」
あるいは、
「晴れやかなステージで活躍する、誇らしい自分自身を経験したい!」
・・・ここに本当の情熱があるのではないか?
と思えたのです。
( ゚ ▽ ゚ ;)
その想いに良いも悪いもありません。
けれど「歌いたい」という率直なパッションとは異なります。
( ̄ー ̄;
+・*・+・*・+・*・+
シンプルな魂の願いの場合、
どのような街角でも小さなカフェでも・・・。
たとえ見てくれる人がいなくとも・・・。
自己流の表現を世界に向かって発したいのです。
( ̄▽+ ̄*)
魂の情熱は、
誰にも認められずとも・・・儲け予測が不明でも・・・
「やらずにはいられない」という
”根拠なき強い衝動”があります!
(・ω・)/
Bさんのケースの場合は
「環境条件」が最大に重要です。
( ̄ー ̄;
彼女が体験したい事は、Aさんの望みとは違います。
◇
魂にとっての価値は、
物質界からの評価・待遇・規模の大きさは関係ありません!
( ̄∇ ̄+)
ユーチューブを見て、たった一人の人が感動してくれたら、
Aさんの魂は歓びに浸ります!
(≧▽≦)
◇◇◇◇◇
そのような観点から見つめると
”想っているものが”率直な魂の望み”なのか・・・。
指標の一つになると思います。
(*^ー^)ノ