こんにちわ~。
今日は、作成中の新作品
【ゆうれいたちがやってきた】に、
ゆうれいがやってきたお話をお届けします。
( ゚ ▽ ゚ ;)
☆.。.†:*・゜☆.。†.:*・゜
作品が書籍化検討に入った折、
編集の宮崎さんは、
高速バスの中で原稿と挿画を見ていました。
彼の隣の席は空席でした。
ところが・・・
姿のない人がそこに座った気配がします。
宮崎さんは”感じやすい体質”なのです。
( ̄ー ̄;
どうやら年配の男性のようでした。
そして絵をしきりに覗き込みます。
( ̄Д ̄;;
宮崎さんは「来ちゃったな~。誰かな?」
と思いながら、原稿の続きを見ていました。
(;・`ω・´)
すると姿のない男性は
物語2番目の挿画が特に気に入ったようで、
しきりに指をさしてきます。
そして声のない声でこう言いました。
「失われた夢、サンキュー・サンキュー!」
。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚
やがて気配は消えて行きました・・・。
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その日の午後、
宮崎さんとウタマロは打ち合わせ予定で、
私にはそれが誰なのかすぐわかりました。
( ̄ー ̄;
姿のない男性は、2016年2月に地上を去り、
魂世界へ還ったウタマロの父でした。
そしてまーぼナス君の父でもあります。
実は著者と画家は兄弟だからです。
画家自画像(彼は真央ちゃんのファンです)
そしてなぜ「失われた夢」なのか。
父は若い頃、画家になることが夢でした。
戦時中のえんぴつすらない時代に、
炭を焼いてデッサンしていたくらいです。
父が10代に描いた弟
彼は10代後半で終戦を迎えますが、
父の父(ウタマロの祖父)は戦死し、
疎開していた一家は極貧の状況に陥ります。
長男の父は美大への進学を断念し、
家族のために市の職員として
定職に就きました。
それはとても辛い選択だったようです。
遺作展での様子。
その後生涯ずっとアマチュアとして絵を描き続けたものの、
正式に「画家」と名乗ることはなく、
大きな個展などもありませんでした。
*
今回、お蔵入りになっていたこの作品が
書籍化決定となったことは、
父のサポートもあったと感じています。
戦死した祖父も、
絵と写真が好きでした。
戦争が終わったら写真館をしようとしていた人ですから
祖父のサポートもあるのかもしれません。
まさに「ゆうれいたちがやってきた」なのです。
(▰˘◡˘▰)
彼らの子であり孫である、
ウタマロとまーぼナス君がコラボした創造物。
この作品を見ず知らずの多くの人に届けられることは、
まさに「失われた夢」を叶えることなのでした。
「サンキュー・サンキュー!」は、
皆に対する感謝の意です。
2回続けて素早く言うのは、父の口癖でしたから。
( ̄▽+ ̄*)
原稿の見本を見せました。
父は地上を去りましたが、
彼が残した地上の命で
こうして人々に貢献できることを喜び、
今もサポートエネルギーを下ろしてくれます。
ウタマロは父が地上にいた時よりも、
彼の存在を感じているほどなのです。
(▰˘◡˘▰)
遺作展には、田舎なのに
*
そして今回の作品は既存にはないスタイルです。
追ってお知らせいたしますね。
・:*+.\*1/.:+
今日はここまで。
ありがとう。
この作品は物語のあと、
摩訶不思議な第二部に続きます。
*1: °ω°