私の以前の記事のコメントへ、
「本人は ”地上貢献” のつもりで行動しても、
受け手(相手・他者)が
”これは自己満悦だ” とすれば
本人の意図とは違い、
その行為が ”自己満悦” になってしまう。
判断が難しい」
・・・というご意見を頂きました。
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このコメントを書いて下さった彼女は
個人的な事象に当てはめ悩んでいるのですが、
私はもう少し広く考えてみました。
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最初からバッサリ言いますと、
《他人がどうジャッジしようと無関係》
他人の意見は放置します。
そして、
一人になり、静かに自分の心を見つめた時・・・
自身の志と行動が、たとえ誰からも支持されず、
賛同されず、ほとほと孤独だとしても、
志を貫き、地上が良くなることを祈って
なんらかの行動を続けているなら、
それは純粋に地上貢献だと思います。
例を挙げると奇跡のリンゴの木村さんや、
自然農法の福岡正信さんが典型的な例。
彼らは農薬と化学肥料を使わない農業を目指した。
果樹が実をつけるまでの間、
親から受け継いだ木々をダメにし、
周囲から大馬鹿者だと言われ経済的にも苦しかった。
彼らは全くの孤独だったと思います。
それでも志を曲げなかった。
二人とも後々 世界的に有名になりますが、
有名になることが目的でもなかったし、
称賛されることが目的でもなかった。
*
私たちの条件に当てはめて考えると、
自分自身のやっていることに
リアルな友人もSNSの友達も
ほとんど興味を示してくれず、
稼ぐこともできない状態だったとしても、
それでも「地上のためにこれは絶対に成すべきだ!」
・・・と熱く想い、
行動し続けることができるのなら、
それは意図の純粋性に貫かれており、
本物の地上貢献、と言えると思います。
でも周囲の反応がしばしば気になり、
称賛されず、有名にもなれず、
儲けもないとしてやる気が失せるなら、
それはそもそも
「地上貢献が目的ではなかった」とわかります。
振り出しに戻りますが、
《他人がどうジャッジしようと無関係》
自身の働きが地上貢献なのか、自己満悦なのかは、
自分の率直な意図と継続行動で判定できると思います。
それではまた。
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泉ウタマロは作家・アーチストです。
作品はAmazon・ブログなどにございます。
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