5月9日 朝のことでした。
いつも散歩する森で
大きな木が裂けていました。
(°_°)
穏やかな日です。
いったいなぜ倒れてしまったのでしょう?
(°_°)
木の言葉を聴いてみました。
(。-_-。)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
私は空をさして立っていました。
けれど私は限界を感じていました。
たくさんの悲しみの”重さ”にです。
私たちにとって、距離は関係ないのです。
(遠くで起こった地震の衝撃を含め、
この物質次元の悲しみを指しているようです)
私は実をつけています。
それでも、「もういい」と思いました。
雪でもない日に倒れる私を、
あなた方はどう思いますか?
私たち木の種族が、このようにして倒れることなどあまりありません。
私が倒れることにしたのは、つい最近です。
私は自分の意志で「裂けた」のです。
ここを通る人々は、私の上をまたいで行きます。
そして私がなぜ倒れたのか、
考える人はあまりいません。
悲しみの”荷”があまりにも重い時、
木も折れるのです。
折れて裂け、その悲しみを”解放”します。
裂ける時の悲しみの声を、聞いた者があるでしょうか?
いいえ、きっといないでしょう。
それでもその無音のエネルギーを宙(異次元)に放出し、
悲しみは宙に帰せられて、
私の体は地に落ちました。
私は本来の寿命を終えたのではありません。
木の種族、竹の種族を代表して、
私は悲しみを”解き放ち”ました。
とても硬い性質で立つ木には、このようなことはできません。
これはある意味、私だけにできる役目、役割なのです。
私の裂けた部分からは、
朝になった今も放散すべきものが出て、
宙へと解き放たれているのです。
私の言葉を聴き取るあなたが、
ここを通りかかったのは、
それは小さく…報われた解放なのかもしれませんね。
そして私の姿に涙をこぼし、
無残な幹と枝と葉の中に、
私の魂の微笑みを見つけてくれて
ありがとう…。
私のかすかな微笑みに気づいてくれてありがとう…。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
以上が木の言葉でした。
散歩の途中で気づきましたが、
この日は新月から2日目でした。
さらにマヤ暦ではスペクトル:解放の月の
さらにスペクトル:解放の日でした。
(5月は9日と22日がスペクトルの日にあたります)
つまり「解放・溶かす・解き放つ」というエネルギーが
ダブルで流れていた日なのです。
前日はなんの予兆もありませんでした。
木は人が通らない深夜を選んで倒れたのでしょう。
そして、まだ青々とした葉を差し出して
かすかに「連れて行って」と言いました。
そして日記にしまったのです。
木の祈りを大切にしまっておけるように・・・。
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補足:
この木は2日後に撤去され、
根元の折れた部分が残っているだけになりました・・・。