泉ウタマロ：ショートストーリー
【謙虚なバラ】
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その日、
一輪の大きなバラが咲こうとしていた。
＊
新月の前の日のことだった。
朝露が降りた大気の中で
細い月が蕾に言った。
「あなたは大きな存在になるだろう。
開けば開くほど、
歌えば歌うほどあなたは目立つ。
だからこそ忠告しておこう。
あなたは”謙虚さ”を忘れてはいけない。
美しく咲けば咲くほど謙虚でいること。
高く香れば香るほど謙虚でいること。
高貴になればなるほど謙虚でいること、
それから・・・」
月の言葉はこんこんと続き、
純心なバラの蕾に響いた。
＊
やがて朝日がさした時、
バラは初めての殻を脱いだ。
薄桃色の花びらは
初めての世界で素肌をさらす。
＊
朝の風が言った。
「おや！こんなところに
なんと美しい乙女がいることよ！」
すると咲きかけのバラは言った。
「いえいえ私が、
美しい乙女だなんて、
とんでもございません・・・」
「とんでもございません？」
風は怪訝な声で通り過ぎた。
＊
それでも太陽が東の高みに昇った時、
バラは雫を振り払って花びらを解いた。
香りが世界へと流れ出た。
すると蝶がやってきた。
「なんて気高い香り！
うっとりだわ・・・」
するとバラは視線を落としたまま言った。
「いいえ、私の香りなど
たいしたことはございません」
蝶は言葉に詰まり
そこを去った。
＊
真昼を過ぎると、
花はその全貌を開き、
自らの存在を輝かせた。
すると小鳥がやってきた。
「生まれたての美少女さん。
私と一緒に歌いましょ♪」
するとバラは
大きな姿を縮こめるようにして言った。
「いいえ、美少女だなんて、
私など、どこにでもいるつまらない者・・・」
小鳥は首を傾げてバラを見た。
そして何も言わずに飛び去った。
＊
夕暮れが近づき、
太陽は西の山に近づいた。
大気は静まり、
香りが世界に満ちていた。
＊
その時だった。
大きなため息が轟いた。
バラが驚いて顔を上げると、
太陽がじっと見つめていた。
太く低い声で太陽は言った。
「そなたは宇宙から与えられた歓びを、
どうしてそんなに粗末にするのだ」
「粗末ですって？」
バラは驚いて訊いた。
「粗末以外のなにものでもないだろう。
なぜ無意味に自分自身を卑下するのだ？
宇宙は地上での任務を託し、
そうして美しい姿を与えているのに・・・」
太陽は悲しげに言った。
「・・・だって、
美しく香れば香るほど、
大きく開けば開くほど、
”謙虚”でいなくてはいけないと、
お月様に言われたんです」
バラは小刻みに震えて答えた。
太陽はじっと花を見つめて言った。
「よくお聞き、
”謙虚”になる、という行動は
自らの存在を虚（うつろ）にしてしまいやすい」
「どうすればいいのですか？」
バラは言った。
「そなたは誰かに褒められ、認められた時。
それを率直に受けとめ、
価値を発揮する責務がある」
バラは息をのんで聞いていた。
太陽は続けた。
「自分の存在が育ち始めた時、
本当にすべきこと・・・。
それは、奇妙な”へりくだり”をしないこと。
そして、相手の価値を見出すこと。
たとえ小さな相手であっても、
その真の価値に気づき正しく尊重するのだ」
「そうするとどうなるんですか？」
バラは訊いた。
自分自身と相手の存在バランスが釣り合うのだ。
自分を誇り高く想い、
それを認めて表現する。
そして相手の持つ真の価値をも認めるのだ。
たとえそれが未熟であっても・・・。
そのことにより、
双方の存在はらせん的に高まるだろう」
「らせん的に高まる・・・」
バラはつぶやいた。
「うわべの関係性のバランスを保つため、
自分の本質をないがしろにするようなことがあってはいけない。
たとえそれが口先だけのことであっても、
いずれは本当のことになるだろう」
「本当のこと？」
バラは訊いた。
「そなたは自らを
”いえいえ私など美しい乙女だなんて、
とんでもございません・・・と、
言わなかったかな？」
「はい・・・言いました」
バラは小さく答えた。
「こうも言わなかったかな？
”いいえ、私の香りなど
たいしたことはございません」
「はい・・・言いました」
「さらにこうも言っていたな。
”いいえ、美少女だなんて、
私など、どこにでもいるつまらない者”」
「・・・」
バラはうつむいた。
太陽は山陰に沈みつつも続けた。
「今の美しい姿を捨てて、
その言葉どおりになりたいのかね？」
バラはハッとして顔をあげた。
太陽は最後の光だけになった。
「自らを損なうような表現は、
宇宙に対する冒瀆にあたるのだ」
バラは無言で震えた。
「私は世界に夜をもたらさなければならない。
星々が待っているのでな・・・」
＊
バラは残照に包まれ、
太陽の言葉を見つめていた。
心に一筋の涙が流れていった。
＊
世界は星に見つめられ、
美しい夢を見た。
香りに満たされた夢だった。
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copyright © izumi utamaro 2017 5.28
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