「率直に生きる」ということ。
私たちは今まで社会的つながりの中で
”調和”という言葉を、
「できる限りぶつかり合いがないよう、
協調して平穏にすること」
だと認識してきた。
だが、魂視線から見ると、
まるで違う場面も生じる。
*
この数日、
率直に発言しなければならい事象が複数件重なった。
これは宇宙からの私に対する
スペクトル(刷新・進化)でもあった。
もちろん私はふだんから
”かなり率直”な方ではあるけれど、
さらに・・・が要求された。
*
複数で何かを構築しようとしている時、
微妙な違和感・感性の相違を感じることがある。
それは異議とか批評とかじゃなく、
感覚的・意識的な部分での不一致や、
見る角度が異なる場合の意見。
*
頭脳は言う。
「それ言っちゃダメなんじゃない?
相手、気分害すよ。
嫌われるよ。
今までどおり仲良くできないかもよ。
やろうとしていること、
ダメになるかもよ?
信頼失うかもよ?」
*
それに対して魂レベルは言った。
「私は自分の感性でそれをまっすぐに直感している。
そのことに間違いはない。
それは相手の存在そのものを
否定しているわけじゃない。
自分を守るために相手に率直に言えないことは、
自身の魂を大切にせず、
相手の魂を尊重していないからだ。
正確には、
相手の進化の可能性を信頼していないからだ。
言葉が一時的に通過してゆく、
”感情”という門を恐れて、
彼らの”奥”に、自らの真実を届けられないのであれば、
いかなる企画であろうと、
それが世に出た時、
私は後悔するだろう。
そして、現時点で異論を発しなかった
自分自身に対する不誠実、
相手に対する偽りに苦しむだろう。
やるだけやってみて、
そこで意見分かれしてENDとなったとしたとしても、
その方がいいのだ。
関係性が壊れても、
自らの魂との関係性を損なうよりずっとましだ。
もし、この世界に留まる時間が
あと半年しかなかったらどうすのか?
私はどう生きるか?
誰かに嫌われることを気にするだろうか?
気にしていて本当のことが構築できるだろうか?
時間はないのに!
あらためて真実を言う。
私が本当に信頼すべきことは、
自らの真のクオリティを追求しようとする信念だ。
その信念の強さが、
相手にどれだけ伝えられるか?
相手の”感情”という関門を恐れずに・・・。
*
オプラートに包んだもの言いを、
核心を回避する言い方を、
既存社会では勧められてきた。
だがそれで人々は幸せになっただろうか?
魂は報われただろうか?
魂が望んだ人生は構築できただろうか?
*
今日、この一瞬一瞬において、
妥協しないことこそ、
真の自分をこの地で表現することになる。
”言い方が悪い、タイミングが悪い”
そういう種類の言い分は、
全て感情レベルが抵抗している言い訳に過ぎない。
自分自身が進化し、
率直に生きることこそ、
相手もそれに呼応してくる。
既存の関係性を守ろうとうするのではなく、
未知の進化した関係性を創ろうとすることが、
もっとも美しく、
もっとも満足した今生にでき、
この地を離れる時、
もっとも満足することができるだろう。
卒直に生きることで、
人生はアーティスティックにできる。
真の”調和”とは、
自らの魂との調和を最優先とし、
それと共鳴し合えるスタイルを
共に創り上げてゆくことにある」
☆.。.†:*・゜☆.。†.:*・゜
KIN260を超えてKIN1 に繋ぐ言葉となりました。
お読みくださりありがとうございました。